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ミジンコブログ

徒然を、不定期で。

母とのコミュニケーションのとりづらさがだんだん苦痛になってきた。

母親 考え方
以前から、母からくるメールは支離滅裂で愚痴と文句の長文であり、それに対応するのはストレスフルだった。
それがここ1年、メールからLINEに移行して、長文が散文に変わったもののやはりストレスを感じている。
何故ならば

①こっちの送った文や画像に対してはコメントをしない。

母は自分の言いたいことをポンポン送るが、私が言うことにはほぼ触れず、唐突に別の話題を投げてくる。キャッチボールではないのである。こっちは拾うばかりだ。

②鳩である。

祖母がああ言った、父がこう言った、姉がそんなふうに言ってたよ…母の話は必要のない伝聞が多い。時にそれは母の思っていることを誰かが言っていたことにしている気がしてならない。ネガティヴな内容ならなおさら人のせいにするなよ、とイラッとする。そして『母自身は』どう思うの?という質問には答えない。

③結局何が言いたいのかわからない。

例えば東北旅行に行ったことを私に伝えてきた時。父がバスで酔ったのかしこたま吐いたらしい。父の体調を心配する私に、母からのLINEはこう続いた。

“おかげで、五能線で日本海に沈んでいく見事な真っ赤な夕日が見れました。団体の皆さんが駅に合流した時には暗くなってて、地元の?人は私らの方が断然良かったと言ってました、旦那さんのおかげだとか”

綺麗な夕日が見られたのはわかるが、私らのほうが良かった、とか、旦那さんのおかげとか、
なんのこっちゃである。
どういうことかと聞くと、

五能線は大人気で、日本海に沈んでいく夕日を見たくても特急券が買えない状態なんだって”

と続く。さらに聞いていくと、

“団体行動では白神山地と湖を見てから五能線の駅に来たのよ”
“私達は(父が)具合悪くて、バスを途中下車してのんびり五能線の旅をしたのね。(父が)元気だったら、バスツアーで、白神山地に行ってたから”

ここでうっすら言いたいことがわかってきた私がまとめる。
「父がツアーの途中で具合悪くなったから、夕日を見るタイミングがずれたのね。ハプニングだったけど、いい方に転んだのね」
するとこう返してくる。

“その代わり、代金払っていたのに更に自腹で電車賃特急券を払ってタクシーまで自腹で、でもこの方が素晴らしかった”

良かったのか、金が余計にかかったのが悔しいのか、わからない文章なのである。少なくとも、具合を悪くした父への労りはあまり感じられない。

疲れる。

正解としては、「お金がかかって大変だったね。でも綺麗な夕日を見られて良かったじゃない」と返して、それでものたまう「うん、でもねーお金が」に対して、2〜3回は「夕日を見られて良かった。父が無事で良かった」と繰り返し、そして念を押すように、「あなたは間違っていなかった」と言うことなのだろう。
おしゃべりな中高年女性を見ていると、もうこれでもかと同じ話を繰り返していることがよくある。あれは要するに、私は間違ってないよという確認行為なんだろうなと思うのだ。

しかし私は同じ言葉を繰り返したくない。正解までたどり着くことはしないだろう。めんどくさすぎる。

あまり母の言うことをすべて理解しようとはせず、軽く流していくのが一番だろうなと思う。

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グッタリ。