ミジンコブログ

徒然を、不定期で。

記憶がなくなっていく

子供が赤ん坊だった頃の記憶がなくなってきている。

 

夫は育児に関して「俺は何にもわかりませんよーわからないことは関わりませんよー」的な人間であった。夜中の授乳をやってくれたことも一緒に起きたことも一度もない。あとあとになって「泣いてたの?全然気がつかなかった」という男である。そんな感じで他にもいろいろあるがあの頃のことを突き詰めて思い出そうとすると心底ツラいので、だんだん本当に私の記憶が「なかった」ことにしつつあるんじゃないかとおもう。過去の日記やブログを見るのも困難になってきている。

こないだ、「長男が1〜2歳のときに親戚の皆で日光行ったじゃん」という話をされたが、私には覚えがなかった。全く覚えていなかった。写真でもあればまた「ああ」と思ったかもしれないが、それもない。「ほら、あのとき」とか言われても、「誰の話してんの」レベルだった。ちょっとショックだった。

息子たちのことは大事だと思う。赤ん坊のときの彼らは、とてもかわいかったと思う。ぼんやりと「赤ん坊のときの息子たち」を思う。彼らはよく笑ったし、よだれだらけで、よちよち這うか歩くかして、しっとりとした手のひらで、頭からはいいにおいがして、くにゃっとした暖かく柔らかい体をしていて、ぷくぷくのほっぺたで、「あーちゃ」とか「ちっち」とか一生懸命話そうとしていた。

 

だけどツラいのだ。いろいろ思い出そうとすると。

「赤ちゃん」という存在を慈しむことに対しての羨望はあれど、あの頃に戻りたいとはびた一文思わない。

 

いま長男はニキビだらけの顔で、身長も私をこえて、体毛も濃くなり、低い声になった。目が悪くなったので眼鏡をし、ゲームは私より巧くなり、マインクラフトやリトルビッグプラネットで私には到底理解出来ない複雑な仕組みのものを作ったり、パソコンでも徐々にプログラミングをやったりするようになった。次男は体は細いしいまだ幼児のような声を出して甘えてくるときもあるが、びっくりするほど細かいうんちくを語ったり、偉そうな口をきいたりする。ふたりとも赤ん坊のときと比べてかわいいかかわいくないかで言ったら、そりゃもうかわいくないのかもしれないが、一緒に暮らして行くにあたって、圧倒的につきあいやすいのだ。なにせ、口頭でこちらの意思が伝えられ、向こうの意思も口頭でこちらに伝えることができるのだから。いまの方がいい。そうなれば、記憶がなくなっていくというのも、悪くないことだと思えてきた。


そして、記憶がなくなるのがそんなに悪いことじゃないんじゃないかと思えるゆえんは、もう一つある。

私の祖母は認知症を煩ってからもうだいぶ経つが、伝え聞く限り昔のことはもうほぼほぼすべて忘れてしまっていて、家族のことももう認識出来ない。分かるのは氷川きよしが好きだということだけだ。我々家族は、氷川きよしにあっさり負ける程度の存在だった。

驚きなのは、だいぶ前植村花菜の「トイレの神様」を聞いても「くだらない歌」としか評しなかった祖母が、施設に入るようになってから耳にして涙を流して「いい歌ね」と言っていたということだ。祖母は演歌以外の曲に感動することはなかったのでえらく変わったなと思う。施設の人は、「だんだん人は仏様に近づいていくんですよ」と言っていたらしい。

私もそのうち認知症になったら記憶を書き換えて、まったく違う人間のようになるだろうか。でもそうなったら、夫を責めて追いつめるより、マシなのかもしれない(今だってべつに責めてないけど)。