ミジンコブログ

徒然を、不定期で。

AとBというグループにいる生き物たちがいる。一般的に、AとBは一定に成長するとお互いを意識し始め、中にはパートナーを組む。A同士B同士で過ごすものもいるが、数はまだ少ない。
AとBには身体的な違いと、社会における役割の違いがあった。AとBのする仕事は違ったし、繁殖におけるリスクやコストも意味合いが違った。改善されようとしているところもあるが、まだまだ全き平等の世ではなく、歴史の中で出来上がってきた役割に、Aの中でもBの中でも、不満を抱く者たちがいた。
Aの中には「自分たちはBのグループのものたちより体が小さく、力も弱い。自分たちはウサギで、その気になれば自分たちを好きなように殺したり食べたりできるBたちは熊だ」と思う者たちがいる。
一方で、Bの中には「自分たちの中には力にまかせてAを食べたり殺したりする者もいるかもしれないが、自分はそんなことをしたいとも思わないしこれからもしないだろう。でもこちらが悪いと信じて疑わないAにいつか騙されて殺されるかも。あいつらはウサギではなく毒ヘビだ」と思う者たちがいる。
それを受けてさらにAの中の者が「BがAをさんざん嬲ってきた歴史があるのは事実。あちらこちらで目にするそっちの一般的な欲求が本音だとすると、弱い生き物を自称してようがやはり熊だ」と詰り、Bの中の者が「一部は犯罪行為をしたかもしれないが、大多数はおとなしくフィクションなり金銭なりを使って欲求を満たしている。歴史を持ち出されても自分たちは過去まで背負えない。そちらのグループにだってえげつない欲求を持つものはいる。何故こちらばかり責められねばならないのか」と返す。
もはや、最初にどちらが先に仕掛けたかは関係なく、AとBの間には、常に消えないシミのような憎悪がこびりつき、何かのきっかけでこの問題は誰のせいか、何のせいか、どちらがより非があるか、定期的に取り沙汰されるのだ。
そうした憎悪はどうかしたら消えるのか、というと、それは難しい。憎悪は、恐怖でもあるし、恐怖は、生き物が自分の身を守るためにどうしても捨てられないものだからだ。Aの一部は、Bが怖い。仮にBに蹂躙されたら、「ちゃんと自分の身を守らなかったお前が悪い」などと言われ、心身ともに傷つく。Bの一部はAが怖い。好意を持って近づいたとしても拒否され、それが広まることで社会から抹殺されてしまうと考えている。2つの被害感情は、実は全く重ならないものだ。だって、それぞれ別のはなしなんだから。けど、お互いが「あなた」で見ることなく、AとBの属性で考える世界は、どこまでも狭い。狭いのにとても果てしない問題だ。手に負えない。

私は正直この問題に答えをだすことができない。私の中には、Aのある部分を嫌う気持ちもBのある部分を憎む気持ちもあって、また同時にどちらも好きなところがある。それにもっと憎しみ合えばいいよとか他者にいう気持ちはわからんし、行程をすっとばして仲良く愛し合えばいいのにとかいうのにもうすら寒さを感じる。自分の手の届く距離は短く、手は何本もない。せめてその範囲にいる生き物たちには優しくすることにするよ。その範囲を超えることはできないかもしれないけど、少しずつ広げていくことくらいは、無理じゃないかもしれない。