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ミジンコブログ

徒然を、不定期で。

ベビーカー子連れは云々、という人たち

子供 育児

そんなにベビーカーはお嫌いですか? -「電車内のベビーカー、ウザッ」と言う前に-
 
以前のエントリでも似たようなの取り上げたが、
コメント欄の荒れ具合から「またか」と思ったのでまたやる。
 
最初に自分の見解を再度かんたんにのっけておくと、
 
“電車内のベビーカー” 
混んでなきゃいいんじゃないの?
混んでたら?しょうがないなー。でもたためない理由があるんじゃないかな、
混んだ電車に乗らねばならぬ理由があるんじゃないかな、
と思うことにして見守る。
自分のときは「やたら多い荷物」「赤子」「ベビーカー」を
同時に一人であーだこーだするのは本当に危険だと感じていたゆえに。
 
“階段を上り下りするベビーカー子連れに対してどうすればいいか”
「助けられそうと思ったら普通に声をかければいいし、
 断られたらあっさり引き下がればいいし、
 今は無理そうと思えば通り過ぎればいい(良心の呵責はあれど仕方ない)」である。
もちろん助けられなかったと嘆いたり怒ったりする子連れはいるだろうが
助けなかった場合正当化する理由は何もないので
私は「あ、ごめんなさい助けられません」という。
「助けられなかったやつはそうされるだけの理由があるのだ」とか
あとから言うのはなんかもう醜悪だな、とおもう。

 
で。
 
  
“ベビーカー子連れはウザい、電車乗ってくるな。
 困ってても助けない” 
  
 
↑この内容をいろんな言い方で言ってくる人間がいるわけだが、
大まかに3種類ある。
ひとつは、うるさい子供が大嫌いで、周りに配慮のない親たちが大嫌いで、
そういう一部が子連れの全体だと(あるいは大多数だと)とらえ、
とにかく気に入らないよ、助けないよとストレートに言ってくる人。
この人たちの脳内では子連れはもはや社会的弱者ではなく、
常に「譲ってもらって当たり前」という厚顔な態度をしており
手助けや我慢を強要してくる存在に見えるようだ。
「そういう非常識なのは一部だとわかっていても」というのが入ったりするが
基本的に子連れへの憎悪が勝り何を言ってもあまり効果がない。
親たちとしても何故そこまで子連れが嫌いなのかを推し量る余裕はないし
(正確に言えばそんなの考えたくない。そんな暇あるなら別のことしたい)
彼らに配慮して社会の隅っこで生きていきます、というのも無理だろう。
この人たちがターゲットにしている一部の非常識親たちはおそらく、
この人たちの怒りを目にし、反省することなどないだろうから(ゆえに非常識である)、
代わりに一般的な親たちがいわれのない悪意に震えることになる。
私はもしこういう人が胸に印でもつけてわかりやすく表を歩いていたなら
絶対近寄らないようにしたいなあと思うが
残念ながら見た目で人はわからない。
この人たちが子供を持つようになったら見解が変わるのかもしれないが
少なくとも「ウザい」という悪意をぶつけてくる間は接触を避けたいところだ。
無邪気で人なつこい子供を持った場合、見境なく突っ込んでいくので
外出時は大変ドキドキする。
 
 
もうひとつは
「声をかけたら不審者扱いされる世の中なんだ。助けたくても助けられないんだよ」という人。
こういう人たちはとにかく揉め事を避けたい。面倒なことはいやだ。
子連れは厄介そうなニオイがぷんぷんする。極力関わりたくないという人たちである。
はじめのケースとは逆で、向こうがこちらに近寄らないようにしているのだ。
こちらとしてもあえて追及して追い詰めないようにしたいところである、が
上記のような「助けるべき!」とはどう見ても言っていない記事に対しても
わざわざ先回りしてエクスキューズをとろうとする人間は後をたたない。
「一度声かけしたら不審者扱いされたことがあるからもう今後は手を出さないことにした」
という人は仕方ないのかもしれない。
しかし、要は「どうせお前らは俺を不審者扱いするんだろ?」と親たちに言ってるようなもので
不信の目を思いきりぶつけられた親たちは悲しくなるばかりだ。
これも悪意なのである。
交流のいくばくかでもある方なら
「いや、親切で声かけられたか否かくらいの区別はつくよ。
 通報とかしないよ。助けてもらえるととても嬉しいよ」と
いうこともできるんだが、匿名だとそれもかなわない。
残念でならない。
 
 
最後は
「私は子供をウン人育てたが昔はもっと大変であーだこーだだった。
 他人に迷惑をかけないようにあーだこーだ努力をした。
 外出をなるべく避けて、躾もしっかりやった。だからうまくいった。
 今の親もそうするべき。できて当然。できない親は失格」という人だ。
いわゆる自分の子育てはとうに終わった世代の方たちや
“幸運にも”余り手のかからない子供を育てている親御さんによく見られる意見。
こういう人たちは「ウザい。乗ってくるな。助けない」という言葉は使わないとしても、
今の親たちが躾など充分にせず、他人に迷惑をかけないように努力することなど
全くしていないようにうつっているので、遠まわしに言ってくる。
根っこは子連れ嫌いの人たちとそう変わらないのかもしれない。
今の子育てがどういう環境で、どういう状況なのか、
また子どもにはそれぞれ違いがあり、一概に「躾すれば何も問題は起こらない」
とはいえないということがなかなか理解できないようだ。
なので、とりあえず自分にできたことができない親に対して、
「親失格!」と烙印を押して満足する。
「こうしたらあまり迷惑がかからないように電車を乗ることはできるし
 こうしたらお互い気持ちよく公共機関を利用できるんじゃないかな」
という建設的な意見なら歓迎だが、「親失格!」といわれて奮起できる親はなかなかいない。
いやそういうひともいるかもしれないけど。
私はゴメンだ。尊敬できる知り合いならともかく、匿名からの説教なんて。

 
おおまかに書いたが、もちろんこんなに単純化できるもんじゃなく、
「助けてほしいってんなら助けるけど言ってこねえし、言われないとわかんねえよ」とか
「助けてほしいならそれなりの頼み方ってモンがあるだろ」とか
そういうのもあるようで(前回の記事でそういうやりとりになった)
結局最初のボタンのかけ違いがあとあとまで「子連れウザい。助けたくない」に響くのだなと
痛感したのだった。
再三言うが私はすべからく子連れは助けられるべし、とは思わない。
助けられないなら悪いけど助けないよ、でいいと思う(ねちっこい悪意をぶつけるくらいなら)。
個人的にはおしゃべり夢中のママさん集団とかほんとに苦手だし
そういうのがベビーカーをずらりと並べて狭い公共の場所を占拠してる図なんて
到底ニコニコできないしさ。
ただお母さん一人で必死になって子育てしてるところまでひっくるめて
たたみかけるようにがーがー言うのだけはやなのね。
悪意のコメントを残す人たちはなぜぶつける相手を間違えるのだろう。