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ミジンコブログ

徒然を、不定期で。

それでも「親にも責任が」と言いたい人へ

自分の運の良さを「正しさ」だと勘違いしている人たちへ
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20110306#p1
 
 
このエントリに私は心から同意します。
 
今日、子供たちをつれてトイザラスに行きました。
店内を回っている最中、次男がもよおし、トイレに連れて行きました。
私は入り口で待ち、次男はひとり男子トイレに入って用を足してきました。
入り口に「不審者を見かけたら店員へ」の張り紙がありました。
でも、このときすでにトイレ内に不審者が潜んでいたとするなら、
私が入り口にいようが店員さんがいようが、防ぎようもないことだってあるわけです。 
それでも、ことが起こったとき、私は「女子トイレに一緒に連れて行かないから・・・」とか
「5歳でもひとりで行かせるなんて」などといわれるのでしょうか。
我が子を失うという悲しみの上からさらに。

 
熊本の事件の直後、mixiニュース日記を見てまわっていましたが
心無い日記が本当に多く、絶望的な気持ちになりました。
上のエントリのすぐ後にも「それでも親に責任が」といっているエントリがあり、
ああ、あんなにもわかりやすい上のエントリの内容が伝わってないんだな、と
悲しいやら腹立たしいやらです。


「たった一人でトイレに行かせた親にも責任がある」と、
全世界の人間が見ることのできるWeb上に書くことに、
どういった意味があるのでしょうか。
被害者遺族の目に入ることがあるかもしれない、というのを想像しているのでしょうか。
 
 
『子供から目を離すことが正しい判断だ』、
『これからも親は自立を促すとかいう名目の元にどんどんほったらかせ』ということを言いたいのではありません。
 
 
この事件の後に「あの時ああしていれば防げたかもしれないのに」「自分だったらこうしたのに」
と書き連ねることは、その人自身の隙の無さを(その人が望むように)表現するのかもしれませんが
実際の犯罪を防ぐこととは別問題になりますし
被害者遺族の心を満たすことは決して無いでしょう。むしろ追い込むでしょう。
 
取り返しがつかないことがあった後に、他人である我々(しかも顔も実名も出さず)
が遺族を責める卑怯さ、不毛さについて思いを到らせたことがあるか、
私は「親にも責任が」と書く人たちに問いたいです。
 
もし、これから痛ましい事件がおきないために親は心がけるべきことがある、
ということをどうしても言いたいならば
この事件を利用して書くべきではないと思います。
正直、こんなときに『親の心がけ』を他の親に説教しようとする内容なんて
うさんくさくてしょうがないと思っていますけどね。